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<対馬探訪2023> 6. スイーツから教わる対馬藩 ~石丁場で出会った裏話

おまけのコラムです。

ブラタモリでタモリさんも訪れていた老舗の和菓子店、渡辺菓子舗さん。
店舗の裏が、桟原屋形と城下町の石切場(石丁場)になっています。
店主の渡辺圭二さんにご案内いただくことができました。

 

桟原屋形の石切場




まず、気になるのは渡辺菓子舗の立地。
桟原館のすぐ隣、かつての馬場筋沿いにあります。
近世城下町のセオリーでいうなら、かなり位の高い家老クラスの屋敷があるような場所。
老舗の商店は江戸時代に豪商だったケースが多く、となるとこの場所も違和感あるなあ、などと思いつつ。

「もとは藩主に近いお家柄なのかな…?」と気になり聞いたところ、
なんと、1872(明治5)年に桟原屋形跡に陸上自衛隊対馬駐屯地が駐屯するとき、
スイーツの需要を見込んでこの地に移転してきたのだそう!
…なんという、商売人の先見の明!笑

*ちなみに、対馬の藻塩を使った「しおチョコ」がおいしい山田松月堂さんも、創業は1902(明治34)年。
万関瀬戸が開削される際、工事現場の人に飴を売りにきたのがはじまりだそうです!)





石切場(石丁場)は、本当に桟原屋形のすぐお隣!


 

こんな町中に石切場があるとは…!城下町にたくさん石垣があるのも納得ですね。
真っ白な石英斑岩、とってもキレイです。





店主の渡辺圭二さんと!

 

対馬の伝統菓子「かす巻き」



しかし渡辺菓子舗さんは由緒ある老舗であることは間違いなく、対馬の伝統菓子「かす巻き」は絶品です。

かす巻きは、カステラ生地で餡子を巻いた、和風ロールケーキのようなお菓子。
対馬藩主が参勤交代から戻った際、長旅の労をねぎらう献上品として考察されたと伝わります。
献上品につき、当時は高級品で希少価値の高かった砂糖をふんだんに使っているのが特徴です。

なので、かなり甘いです。
お土産品などは、正直ミニサイズ1個で十分な激甘スイーツなのですが、
渡辺菓子舗さんのかす巻きはどこまでも上品で、生地もふわふわでとてもおいしいです!

献上品なので、粒あんではなくこしあん。
粒(=皮)は、豆のカスにつきNG。
どら焼きが粒あんなのは、庶民の食べものだからだそうですよ。
ていねいにこしたあんの、なめらかな舌触りと後味のよさよ…!





製法のこと、代々伝わるレシピのことなど、とてもていねいに詳しくお話してくださいました。
長崎の洋菓子文化のことなども聞けて、思わずかなり長居。
とっても楽しい時間でした。

かす巻きのほかにもたくさんお土産をいただいたのですが、どれもおいしかった!
オススメは「対馬の石畳」と「おとしやき」です。



対馬は距離的には福岡が近いのですが、食文化はやはり長崎なんですよね。
対馬の郷土料理「ろくべえ」、長崎県島原市にもありますし。
(対馬のろくべえは、さつまいもを発酵させた「せん」を使います)

16世紀後半に大量の砂糖が輸入されるようになると長崎に南蛮菓子が伝わり、
長崎街道を通じて国内各地にもたらされていきます。

愛媛県松山の郷土菓子「タルト」は、
長崎奉行だった松山城(愛媛県松山市)の城主・松平定行が長崎で食べた南蛮菓子をヒントに、独自にアレンジしたもの。
平戸銘菓の「カスドース」も、平戸藩で門外不出だったお菓子。
オランダ商館が移転するまで貿易の窓口だった平戸ならではのスイーツですよね。



長崎・対馬・薩摩・松前藩は、鎖国中の日本における異例の窓口。
江戸時代に唯一開かれた長崎・出島には、対馬藩邸(対馬藩蔵屋敷)が置かれていました。
日本各地に漂着した長崎奉行所で取り調べを受けた朝鮮人は、対馬を経由して朝鮮へ護送されたとか。
長崎の対馬藩蔵屋敷は、中継地としての役割も担っていたのですね。


食文化や習慣って、その時代を生きた人そのものの歴史ですね。

 

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