<対馬探訪2023> 4.憧れの対馬!壮大な歴史と文化

3回に渡り、元寇にまつわる対馬の歴史スポットを追いかけてきました。
最後は、初めて訪れた対馬で印象に残ったこと、感動したことをご紹介しようと思います。
 

阿比留氏と宗氏

「対馬」と漢字で表記したのは『魏志』倭人伝が最初です。
この作者が「対馬」という漢字をあてたわけですが、「ツシマ」は「津の島」の意味だったと思われます。
文字通り、海に囲まれ、沿岸部にはたくさんの津(=ミナト)が築かれた島であることが一目瞭然ですね。

対馬には国府の在庁官人である阿比留(あびる)氏がいました。
阿比留氏はもとは上総国畔蒜郡(千葉県袖ケ浦市付近)を出自とする豪族ともいわれています。
対馬は遠国のため、上級官僚が現地に赴任しません。なので、おのずと在庁官人である阿比留氏の力が強くなっていったと思われます。阿比留氏は国衙の兵力なども統括するようになり、さらには祭司としての権威も阿比留氏に集中していきました。




対馬国一宮である海神神社。
ここの祭司も阿比留氏が司っていました。

鎌倉時代になって、全国に守護地頭が置かれるようになると、対馬守護には武藤資頼が入りました。資頼は九州の筑前、豊前、肥前の守護職も兼ね、さらに「大宰少弐」の官職も兼務したため、「少弐氏」と呼ばれるようになっていきます。

資頼は対馬守護代として現地に入る代官を置くことになりますが、そのときに代官に任命されたのが在地豪族の阿比留氏ではなくて、大宰府から派遣された惟宗(これむね)氏でした。
惟宗氏は対馬に入ると、「宗(そう)氏」を名乗るようになり、ここに宗氏という一族が惟宗氏から派生したのです。

宗氏が対馬国守護になり、対馬の完全なる支配者となるまでは、宗氏と阿比留氏の間に熾烈な権力抗争が繰り広げられたのです。
宗氏と阿比留氏の合戦の伝承なども島内には残っています。

阿比留氏を祭神とする神社や、阿比留氏の供養塔などがあるそうですが、残念ながら今回は立ち寄れなかったので次回行きたいと思います。
ちなみに、阿比留氏は今でも島内で一番多い苗字だそうです。

対馬の歴史は面白いです。阿比留氏が上総国の畔蒜郡に繋がるともいわれているので、関東との繋がりを感じてますます興味津々です。

今度は阿比留氏と宗氏の戦いや抗争の歴史を追いかけたいと思います。
対馬にまた来なくちゃ。
 

やっぱり、なんといっても金田城!

憧れの島、対馬。
やはりなんといっても、一番訪れることができて嬉しかったのは金田城でした。
自分の中では異国ほど遠いイメージがあった場所なので、感無量でした。
景色だけで、言葉が不要なほど雄弁にこの場所の意味と歴史を語りかけてくれました。

金田城の魅力はコチラ
<城組の対馬探訪2023> プロローグ 2/4 金田城の5つの魅力【前編】
<対馬探訪2023> プロローグ3/4 金田城の5つの魅力【後編】



国境の最前線であり、国交の最前線であり。




こんな美しい景色はほかにあるだろうか?と心から思うほどの絶景。





積み直した石積みも、いつの時代なのか、何の目的なのかもわからないほど歴史が詰まっていて。
国家プロジェクトとしての金田城の築城には、驚くほどの最新技術や莫大な予算が投入されていて、スケールの違いに言葉が出ませんでした。




古代山城でありながら、近代にまた再利用される金田城。
私が生まれ育った横須賀にはたくさんの近代遺跡がありますので、いままで砲台や監視所などの軍の施設をたくさん見てきましたが、対馬の軍事施設は造りがしっかりしていて、実戦的だと思いました。
軍事的な緊張感が、やはり桁違いなんだろうなと実感しました。
まさにいつの時代も最前線!




そして、面白かったのが軍事施設の時代ごとの造りや雰囲気の違い。
金田城に築かれた城山(じょうやま)砲台は、明治時代の軍事遺産で、煉瓦積みの美しい砲台になってます。

しかし、うってかわって豊(とよ)砲台は第二次世界大戦のときに造られた砲台のため、レンガではなくコンクリートで簡素な雰囲気。
 


 
戦後、アメリカ軍による破壊を受けた痕跡も生々しい。ダイナマイトで爆破されたらしいです。
このように、対馬は近代だけでも色々な歴史を見ることができます。
いかに、いつの時代も日本防衛の重大な役目を担っていたかが実感できます。

 


 のぼってみた笑

 

対馬ならではの宗教観

最後に。
今回対馬を訪れて、強烈な印象に残った景色があるので紹介します。
ここは木坂集落にある海岸です。エメラルドグリーンでとても美しい海岸になってます。



実はこの海岸にお墓があるのです。
木坂の里の北には神々の集まるとされる伊豆山、南にはこの山に入ると死後に往生できると伝わる保利山があります。
保利山の麓に写真の海岸が位置します。




写真の山が保利山です。
保利は「葬り」を意味するとされ、使者を埋葬する山だったと思われます。
麓にはお墓がたくさん建てられています。




保利山の麓の海岸はお墓、保利山は遺体を埋めて極楽に行けるように願う山。
死者を埋葬するエリアと、死者を拝むエリアが分かれているのです。
「埋め墓」と「拝み墓」の両方を造る「両墓制」という風習だそうです。




古代には各地で行われていた両墓制という考え方や風習。
それを今に伝える場所は日本ではどこに残っていないということで、民俗学の面でとても貴重な習俗といえます。
今でもこのような風習が続いているのも対馬ならではの魅力といえます。
海に面したお墓と、それを見下ろすようにそびえる保利山。
忘れられない景色です。

 

もっと対馬!

最後にオススメしたいスポットは対馬博物館です。
対馬に来たら、ぜひにお立ち寄りください。

リニューアルされたばかりの博物館で、対馬のすべてが詰まっています。
じっくり見ると、数時間かかるほどのボリューム!
そして、展示が見やすいのでとても勉強になります。
オシャレな展示空間なので、目にも楽しい♪



私が感動したのは、入ってすぐの展示ケース。




…何も入ってないんです。何もケースに置かれてないんです。
度肝抜かれました。素晴らしい展示だと思いました。
対馬は旧石器時代の遺跡が見つかっていません。

~消えたのか、無かったのか~

このように謎が多い対馬。
知れば知るほど知りたくなります。

※対馬博物館の営業時間などの情報はコチラから
対馬博物館

 

次はどこに行こう?

やはり、対馬は魅惑の島でした。
来れば来るほど何度でも来たくなる!!
知りたいこと、見たいことが山ほどあってキリがない!
今度はどこに行こう?と考えながら帰るのもまた楽しいですね。




対馬を知るために必須な書籍はコチラ。
もっと勉強して再訪しようと思います。

ツシマヤマネコに会いたいので、足繁く通わなきゃ!
こちらは普通の猫ちゃんです。かわゆい。



歴史あり、文化あり、独特の宗教が根付いている対馬。
どの切り口で訪れても楽しい島です。
次回は穴子を食べようと思います笑


Text & Photo / 山城ガールむつみ


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1.元寇の舞台をめぐる①いざ、モンゴル軍上陸の佐須浦へ
2.元寇の舞台をめぐる②いざ、戦いの痕跡さがし
3.元寇の舞台をめぐる③いざ、英雄たちの足跡さがし
4.憧れの対馬!壮大な歴史と文化

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